はい。
みなさんはそれぞれ「頭が良い」ということについて一言持っているはずです。インターネッツでも定期的に言及されてあーでもないこーでもないと喧々諤々無益な自転車置き場的議論が発生しているのが観測できます。
というわけで今日ぼくも石を投げます。
結論から言うと頭の良さとは「認識の解像度の高さ」です。
例えば今流行のCOVID-19へどう対策するか、となったとき、解像度が高ければ
- 一般的な感染症対策の手法について調べる
- どういうタイプのウィルスなのか調べる
- 同じタイプのウィルスに特有の感染対策があるのか調べる
- 同じタイプのウィルスには、過去どういった治療法が有効だったのか調べる
- なんか良い感じに行動していく(雑)
といった感じの流れで動き方を決めることができるわけです。
一方解像度が低いと
- テレビを眺めてビビる
- インターネッツの流行にビン・カンになる
といった感じで流れに流される感じで動かされてしまうわけです。
一方、この解像度理論はいわゆる天才一般、芸術家系そしてスポーツ選手にも当てはめることができます。
いわゆる芸術家の人たちの感性の鋭さはそのまま、彼らが認識している世界の豊かさとイコールです。言語化されにくいことが多い領域、また多分に浪漫を求められがちな場所であることから彼らの能力を「頭の良さ」と繋げることはあまりないですが、脳の力が高いと言うことは頭が良いということです(なぜなら頭のほとんどは脳味噌で構成されているからです)。
脳筋という言葉が存在するように、一部の人々のイメージでは頭の良さと対極に置かれがち*1なスポーツも脳の力とは無縁ではいられません。(極々プリミティブな競技をのぞき)状況を把握し、相手の考えを読み、意思決定を行うのがスポーツです。また日頃の食事やトレーニングの管理、そしてチームワークの確立etc……
はい。
このように、「解像度の高さ」はあらゆる領域で「優秀さ」を決定するものであることがわかったとおもいます。いわゆる地頭の良さと呼ばれているものが限りなくこれに近いんじゃないかとはおもいます。
ちなみにこの認識解像度の高さがどう決定されるかというと……圧倒的に秀でている人は生まれつき兼ね備えているんじゃないかなと考えています。
自分より圧倒的にスゲェ人と会って話した時って『エンジン音だけをきいてブルドーザーだと認識する』ように相手の能力の高さがわかっちゃうじゃないですか。なんというか鷹が爪を隠したところで全身から漏れ出る猛禽オーラを隠せないように、あいつら生まれついてのプレデターなんですよね。
とはいえ、我々生まれついての貧弱一般人にできることはないのか、というとそんなことはありません。
頭の良さをエミュレートする方法
ざっくりまとめると勉強です。
といっても、ただガムシャラに手当たり次第……というのはあまりに解像度が低いやり方です。ギアをあげていきましょう。
頭の良さをエミュレートするために必要な勉強の対象は大きく分けて3つです:
- フレームワーク
- 知識
- 習得
フレームワーク
フレームワークっていう言葉自体が解像度が低い? いやいや抽象度が高いんですよ。
ここでわかりやすいようにざっくり解釈してしまうと、強い人のやり方の模倣の手法です。
例えば科学的方法ですね。
我々蒙昧無知な人類はともするとアボガドと豆乳でヨーグルトを作ろうとしたり空間を除菌しようとしたりしてしまうわけです。
科学的方法は事実を正しく認識していくためのフレームワークと呼べるでしょう。また、科学者ならずとも非常に応用が効く考え方なので表層だけでも修めておくと非常にコスパがよいです。ただし、不完全な人間が運用するものなので過信は厳禁です。ある精神学医の人がどこかで「自分にはバイアスがあるということを自覚しながらもあるがままに認識していく」ということを言っていました。これもまた解像度を上げていくフレームワークの一つでしょう。
知識
知識を侮るなかれ。古代人と現代人をわけるのはただ知識のみです。知識がない人は意味もなく27℃のお湯でウィルスを殺菌しようとします。
「知識は簡単に身に付く」というのは誤りです。高度な知識は往々にして理解するための基礎を求めます。
巨人の肩に乗ると言う言葉がありますが、知識を身につけていくことで頭の良い人たちがしてきたことをショートカットして先へ進むことができます。うまくすれば新しい何かを発見することだってできます。
習得
これはうまい言葉がみつかりませんでしたが、いわゆるマッスルメモリーに近いものを指します。
いわゆる正しい方法を「身体で覚える」ってやつです。これにはものの考え方なども含まれます。
これはフレームワークや知識と微妙にかぶるように思われるかもしれませんが、より基礎的な部分に適用されます。
正しく振舞うために必要な基礎部分を自動化し、意識化で行われる活動のために脳のリソースを空けます。サッカー選手がドリブルやリフティングの練習をするのは、ボールの操作力の向上もそうですが、まずボールの操作を無意識で行えるようにしてフィールドや相手の動きを分析する余裕を身につけると言うのがあります。
また現代において、一部領域においてはこの習得の部分を機械によって補うことも可能です。
例えば我々プログラマーは安全性や可読性について、コーディングスタイルのレベルではいちいち脳のリソースを費やすことはありません。基本的に全てlinterやformatterで補います。その分、モジュール設計やAPIについて脳や時間のリソースを使えるわけですね。
技術の発展につれて、機械化可能な領域は増えていくことでしょう。楽しみですね。
さいごに
「いまさら解説する」は数少ない、僕の好きなゲーム実況者がやってるシリーズからとりました。観ようね。
*1:僕はこれは学校のスポーツ教育の罪だと考えています。というか学校の"運動をやらせるアレ"を教育と呼ぶこと自体が噴飯ものなわけですが