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努力と勇気と人間讃歌

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努力ってのは何も資格をとってどうこうだとかアイティーフリランで高収入!みたいな意識高い詐欺師のフィールドだけで使われるもんじゃなくて、日々の生活で呼吸と同じくらいに自然と行われるべきもんだよね。
例えば僕は数年前にある日突然魚の三枚おろしができるようになりたくなってしまい、一時期は毎日のように安いアジやなんかを買ってきて三枚おろしの練習をしていたんだけど、そういう些細な努力の種は日常にいくらでも転がっているわけで。こういうところで小さい努力を重ねているとできることが増え、必然的に楽しみの質が上がる。あのとき三昧おろしを練習したおかげで最近ハマっている釣りという趣味が料理という趣味と繋がりをもってQoLをあげてくれたり。

「努力」って言葉は無駄に神聖視されている嫌いがあるせいでこの言葉がチロっと出てくるだけで拒絶反応を示す人が結構な割り合いでいるんだけど、ような技能の獲得や上達のためのプロセスを雑にくくっただけのクソ単語なんだから構える必要なんて全くない。事実、努力なんて言葉は嫌いだーなんていいながら生き方に努力と等価な姿勢が染み付いてる人は一定数存在している。
とはいえ真実努力と縁のない人もかなりいるわけで、その辺の違いってどこからくるんだろうか。

個人的な考察をするに、これも結局「勇気」というクソ単語に集約されてしまう。
僕を含めて多くの人たちから努力フェーズに入るための気力を奪うのは「やってみて、もし何も身につかなかったらどうしよう」「時間の無駄になるんじゃなかろうか」「他人に無能だとおもわれないだろうか」というようなノイズであろう。
事実、大抵の技能はちょっとやそっと練習したところで身につくほど生易しくなかったりする。例えば僕はいまだに魚をおろすのは下手くそですぐなめろうに仕上がってしまう。

ところで、時間を無駄にしたから、無能だとおもわれたからなんなんだろうか。
マクロな視点で俯瞰すれば人生はそもそも無駄なものだし、人類のうち世界を動かしているのは一握りの天才だけであとは替えのきく無能ばかりだ。
自分がとんでもない飽き性なのでもしかしたらそこに存在する、なにかスルメのような噛み甲斐を見逃している可能性がないわけではないんだろうけど、無能が無駄の無駄使いを嫌って過去の再現で遊んでも何も面白くないし、ここは勇気を支払って時間を無駄使いしていこうじゃないかと、昨日らへんにそうおもいました。

人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!! 人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

勇気とは何か。勇気とは恐怖を知り、それを乗り越える……我が物とすることです。

努力とは投資なので時には損切りもそのプロセスに入ってきます。
貴方が今やっていること、その第一歩がまさしく勇気の産物で努力であったとして、それが今そのままであるとは限りません。陳腐化した努力はあっという間に惰性へと成り下がるわけです。
勇気に満ちた状態、恐怖を克服し乱れぬ呼吸法を身に付けた波紋の戦士であれば継続と惰性を鋭く見抜き、過去の努力を捨てるという努力が可能になります。

何事においても達人というのは柔軟な思考の持ち主が多いですが、それはこのような勇気のプロセスが呼吸のように身についているからなのでしょう。

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  • アーティスト:Caravan
  • 発売日: 2009/09/30
  • メディア: CD