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リモートワーク時代の社会人へおくる文章術 基礎への入門編

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リモートワークが当たり前の時代になりつつあります。
弊社では現在、試験的にビジネス側も含めた全メンバーでスクラムを実施しています。

正しく伝わる文章を書くための技術というのはもちろん、いかなる状況下でも非常に大事なものです。しかし、物理出社による対面の人間関係や、マネージャーと個々のメンバーがピラミッド型の組織構造においては文章による情報伝達の拙さを他の方法で補うことが可能でした。

リモートワーク、そしてスクラムによるチーム単位でのタスク管理という状況下ではそうはいきません。
非同期に、効率的かつ正確な情報伝達を行う。そのためには全てのメンバーが正しい文章の書き方をわきまえている必要があります。

正しい文章を書く、と言うのは簡単ですが一筋縄ではいきません。
そもそも我々は義務教育で一度も文章術を習いません。そのため特別に独学した人でもない限り、普通に生きてきた日本人は情報を正しく伝える文章というものを書けません。そこには口語との違いや、日本語そのものの文化的特性というものが関わっています。

本気で書くと本一冊を費やしても終わらないトピックスですが、ここでは知っておくだけで明日から実践できる付け焼き刃の技術をここで伝授します。

参考文献

筆者が以下全てを熟読しているなどとはおもわないことだ……

その他おすすめあれば

やるべきでないことまとめ

先にまとめ。

まず作文技術以前のスタンスについて:

  • 書かない
  • 書いている内容に自信を持たずに逃げた書き方をする
  • 書き手の無知を前提にして全てを説明しようとしてしまう
  • 書いたらそのままで、推敲しない

作文技術の基礎について:

  • 一文が長い
  • 「〜など」などのあいまい表現で逃げ道を作ってしまう (ここの”など”のように羅列が無意味なケースでは使って問題ない)
  • 体言止め
  • 形容詞や副詞、接続詞で溢れている
  • 受動的な表現
  • 全てが箇条書きになっている
  • 主観と客観が混在している

スタンス編

間違ってもいいからとりあえず書く

誤りのないようにと気をつけすぎると書くのが億劫になってしまう。 書いたものを消すのは簡単だが、書かれていないことを読み取るのは不可能である。

良質な文章を書くにこしたことはないが、形式を気にしすぎるあまり書く量が減ったら本末転倒になる。 とりあえず書き出すのが大事で、後から推敲するなり誰かに添削してもらうなりしていれば正確な文章を書く力は自然と身に付くものである。

自分も読み手もその分野に精通していると確信する

(筆者はこの項目を反芻しながらこの記事を書き上げました)

仮に自分がいま書いている内容を本当に理解しているか自信がなく、書いているものが報告に値するものであるか疑わしかったとする。 しかしその文章を書いている間だけは「自分が世界で一番そのことに詳しくてこの内容はみんなが読む価値のあるものだ」と確信を持って書かなければならない。

また(アジテーションを目的とする場合は除くが)、読み手の無知を前提としてしまうと説明が発散して収集がつかなくなる。 ドキュメントであれ報告書であれ、「いま書いてある内容を理解するために必要な知識」という概念を無意識ではなく、意図的に導入することも大切である。

推敲する

小説や新聞からプレゼン資料まで、どんな一流の人間でも書いたものは必ず読み返して訂正する。

たかがスクラムチケットの説明だとおもうかもしれない。しかし正しく書こうとおもえば、140文字ですら我々素人には荷が重い。 原稿用紙数枚程度、自分で書いたそれを読むのを億劫に感じるような技量ではチケットの一発書きは不可能である。

そして書いた本人すら読み返していないような文章を、他人に解読してもらうのは業務時間の壮大な無駄使いとなる。

一度で良いから、書き終わったら読み返す。
もう一度書くが、自分で書いたまま確認も訂正もしていない文章を他人に読ませるのは相手を完全に馬鹿にしている。

文章の基本編

一文は短く

長く連なった文章は、書いているうちに文法上の誤りを生み出してしまう可能性も高いので、なるべく避けたほうがよいし、単純に読みにくいので誤解してしまうかもしれない。

長く連なった文章は文法上の誤りを誘発しやすい。純粋に読みにくく、読み手が意味を誤解する危険がある。

単文の羅列だけで文章を書くとそっけない、あるいはダサい印象の文章になってしまう可能性はある。

しかし訓練されていない人の複文、重文はまず間違いなく文法レベルの誤りを犯す。文学作品ではないので推敲の手間を省くためにも端的に報告すべし。 逆に単文を心がけるだけで文法のミスが減る。

体言止めを避ける

体言止めとは、文章を体言(名詞、代名詞)で止める技法。

学校の国語の授業で文章のリズムが云々〜〜と習った覚えのある人もいるかとおもうが、公に出す文章で体言止めは可能な限り避けるべきである。

体言止めは文章の意味を曖昧にする。 文章を書き慣れない人は不適切な主語の省略を多用するが、これと体言止めが組み合わさると他人が読めない文章が出来上がる。

“避ける”とタイトルに書いたが、自分を日本語の達人だと確信していない限り、体言止めは一律禁止でよい。

形容詞、副詞、接続詞を削る

この中でも副詞と接続詞はほとんど削ってしまっても全く問題ない。

副詞と接続詞は削るべき。

端的に言って拙い文章はこの手の修飾に溢れている。

特に、副詞の付与は基本的に書き手の主観に基づいて行われる。 社内の情報伝達に使う文章で副詞が濫用されているというのは報告の質が低いこととイコールである。

例えば 「X円ということになればかなりのコスト削減です!」 これだとただの感想文になってしまう。

代わりに 「元々がY円であったのがX円になります。これはZ円のコスト削減になります」 とデータを出せば良い。 この削減が「かなり」なのか「フツー」なのかは報告された側が判断するものである。

このように形容詞、副詞が登場した場合、かなりの確率で

  • 無くても同じように意味が通る 人間は自分の書いている内容に自信がないと修飾を多用してしまう傾向にある
  • 語彙力不足 完璧に作成……という表現を使う人は流石にいないが、そういったレベルのもの
  • 意味重複 細かく精査……のような無駄な修飾

という誤りを犯している。これらのゴミを削れば文章の質があがり、また純粋に短くなる。

接続詞は純粋になくても意味が通るので削る。 接続詞がないとわかりにくくなってしまう場合、単純に文章の質が低い可能性を疑った方がよい。 文章のリズムを作るためにたまに使う程度でよく、リズムという概念が理解できなければ単純に削る。

あいまい表現の禁止

あいまい表現とは:

  • 〜などの
  • 〜的な

といった表現のこと。先の形容詞などもあいまい表現の一種。

また、「〜化する」という言葉も使いどころには注意したほうがよい。

能動的な表現を使う

飛ばされた先のURLが存在しないユーザーのものだった場合、404のエラーが排出されます。

存在しないユーザーIDのページへと遷移した場合、システムは404のエラーを出力します。

英語圏のwritingでもよく注意される点だが、主語をあいまいにしがちな日本語では常に気を使わなければならない。

日本語には「〜〜だと考えられる」というような、主体の存在しない擬似受動態とでも言うべき表現が数多くある。
この日本語表現は日本人の直感としては正しいのだが、書き手が責任を放棄しており、文章の正確さを完全に損なうのでまともな文章を書きたいのであれば全て排除すべきである。

箇条書きは必要なときにのみ使う

  • 箇条書きとは
  • 中黒を使って並べるもの
  • 同じようなものを並べるときに便利
  • このように並列でないものを分の区切りのために箇条書きにする
  • これらは間違い

文章を流れでまとめる際に、あたかも段落の代わりのように箇条書きのbulletを使ってしまいがちである。 しかし、他人に読ませる文章でこれは避けなければいけない。

箇条書きは文章をわかりやすくまとめるには便利で強力なツールだが、無闇矢鱈に使えば良いものではない。

箇条書き(リスト形式)は、ある事柄について言及する際に概念を並列(番号付きリストの場合は順列)に書き出して読者が内容を理解しやすくするための道具である。 書き手の考えを乱雑に投げ出すのに使うのは内容の整理を読み手に投げ出しているのと同義となる。

箇条書きを使うメリットは:

  • 資料にメリハリがつき、読みやすい
  • 言及している要素が主題に対して並列なことが一目でわかる
  • 数字付きリストを使えば、時系列や重要度順に要素を把握できる

ことであり、書き手の思いつきを羅列する場所ではない。

特に、最初の例のように並列でない概念を並べるときにリスト形式を使うと読み手を混乱させる。

また、箇条書きには先の「箇条書きのメリットは」のように、必ず箇条書きの中身を説明するキャプションをつける。

箇条書きは体言止めを誘発する原因になるが、意味が曖昧にならないように気をつけるべきである。

事実と意見を分離する

言うは易しで、事実と意見を区別して書くにはまず、先にあげた項目を身につけていなければならない。 そして適切な構成、段落を考える必要がある。

例えば主語を省略した体言止めの羅列が塊で存在していた場合、書き手の中で「主観と客観を分離したぞ」と考えていても読み手がそこに意味を見出すのは難しい。 仮に正しく分離した日本語を使っても、文単位でそれが入れ替わってしまっては読み手の混乱を招くだろう。

本来中級以上に当たる項目だが、チケットの概要や報告書、プレゼン資料をまとめるにあたっては非常に重要な項目なので最後に挙げた。

さいごに

タイトルに"基礎への入門"といれてありますが、ここに書いてあることを読んで次の日から実践できるのはすでにそれなりのインプット、アウトプットをこなしている人だけでしょう。
自転車の乗り方を教わってもすぐには乗れるようにならないのと同じで、文章術というものは実際に試しながら身体で覚えるほかありません。

今回の説明は小手先の部分に終始しました。
実際に今回の原則を守っても、文章の構成が破綻していたり情報の取捨選択が間違っていたら読み手には何も伝わらない可能性もあります。

しかし社会人として最低限の技術は身に付くはずです。
すくなくとも「例の件はなるはやでいい感じにあげてもらえると!」というようなメールを相手に送り付けることはなくなるはずです。

より技術を高めたい、発展的な内容について学びたい!という方は最初にあげた参考文献とかその手の本を全部読んでからブログサービスのアカウントを作って感想文を書けば高まりを感じられるはずです。たぶん。

以上!

   

ちなみに筆者の過去記事から悪文を探すのはやめてね!!!他人の間違いを指摘ばっかしてると挑戦できなくなるぞ!!!!!!!