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ブリリアントジャーク概念の嘘、あるいは語られざるものについて

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もはや心理的安全性と同じくらいには我田引水気味な解釈が拡大しているブリリアントジャークといわれる概念についてですが、そこに存在するアンフェアな状況について述べている意見が見当たらなかったので書き残しておきましょう。

さて、ブリリアントジャークという概念にはそもそもの誕生経緯からしていくつかの不均衡が存在します。

  • 語るものと語られるもの
  • 判断するものと判断されるもの
  • 雇用するものと雇用されるもの

また "brilliant" は直訳すると「素晴らしい」ですが、わざとらしいというか、少々大げさな褒め言葉です。英語ではこういう大げさな表現は、逆の意味を内方させた痛烈な皮肉を飛ばしたいときに使われがちです。
"jerk" は直球のスラングですね。やなやつ!程度に訳されますが、強引さや自分勝手な言動を揶揄する強い表現です。

初期のGitHubは採用に「能力よりもカルチャーと人間性を重視する」として、採用のプロセスに必ず配属予定チームとの飲み会(まぁ、まだそういう時代でした)を開催する文化があったと記憶しています。
そういうポジティブな言い回しがいくらでも可能な中で、こういう気の利いた皮肉を発明して社是に掲げるセンスをもったやつこそがBrilliant Jerkの才能にあふれた人間なのは間違いないとおもわれます。

* * *

まさしくペンは剣より強しといったところで、権威の語る言葉の前に一個人は無力です。

Netflixという権威が、確固たるエビデンスと共に追放した個人を断罪するのです。
賢いつもりの民衆は、いや賢い人間ほど語られる情報の確かさに価値を認めます。

実際、ある規模以上の集団になるとミクロの判断の精度が集団の結束よりも価値を持つ可能性は減るので、適当な悪役を作って団結するのは得だという理屈も存在します。
(そもそもReference letterの習慣がある米国で企業側が不特定多数の元在職者に砂をかけるような発言をするのってどうなんだろうと勝手に心配しなくもない)

個々人の気質にもよるでしょうが、管理職の行動原理は決められたことを予定通りに進行する、という理屈で成り立ちます。
そこでやる気に満ち溢れた「プロダクトの全体最適(ルビ: よけいなこと)」について思考するイキの良い人間が参加します。
そいつは良かれとおもってプロジェクトの根幹へ関わる部分への提言をおこないます。こんな表現のMVを作っていいんですか?炎上しますよ???いやマジでヤバいって!

管理職に生じる感情はこうです。
「何の恨みがあってオレの仕事の邪魔をするんだ?」「もしかしたら政治的に正しいことを言ってるのかもしれないが生意気で気に食わない」

管理職に限りませんね。
ビルゲイツはイエスマンを嫌って自分の計画にはそういう従順な人間を置かないようにしていた、という逸話があります。これが美談やすごいことのように語られると言うことは、つまり人間はイエスマンを周囲に置きたがる習性があり、彼は努力してそれにあらがっているという意味になります。

よほどセルフコントロールに長けている優秀な指揮官でもない限り、組織の構成員を純粋な客観で評価することはできません。
どういうことかというと、気に食わないやつは無能にみえるし、気に入ってるやつが多少ポンコツでも「まだポテンシャルを発揮しきれていないのかも」とあまく見積もるということです。
塩試合で勝つ無敗のボクサーにつくアンチが「こいつは弱い」と発言するのと根は同じです。全人類にはこういったバイアスが備わっています。

上にいる人間がそういうバイアスのもと、感情的な政治をした結果を想像できますか。
あるいは事実、その人物が最終的に嫌な人間として振る舞っていたとして、それはある種の防衛反応だったのかもしれません。
他人にみえないように足を踏みつけるような陰湿な振る舞いに耐えかねて相手を殴ってしまった男がいたとして、法や社会の面から判断すれば彼は100%悪く、しかも有罪です。足を踏んでいた側の悪意は証明不可能なので、完全な潔白で被害者です。

しかし倫理的にはどうでしょうか?
もしかすると、その上司が陰湿なイジメを開始する理屈もどこかにあったのかもしれません。
いずれにせよ、倫理は当事者たちの良心のみぞ知る問題であり、外野には判断不可能なものです。いや、人は自分の良心すら簡単に騙してしまう生き物なので、もはや真実は完全に闇の中です。

そして我々が最初に知るのは権威側の発表です。
曰く、彼は有害だった。

* * *

あらためて書きますが、真実は神のみぞ知るところです。
全ての人は善くありたいと願って生きていますが、自分は善くあったと事実を捻じ曲げて信じるのもまた人です。
「のび太のくせに生意気だぞ」というのはMr. Gの語る彼なりの事実です。

「すべての女性は男性に能力で劣る!!」と主張して、辞めた後も会社の名前を使って暴れ回った某氏のように、明らかな異常値も世の中には存在します。
しかし少なからず社会性を身につけた善くありたいと望む一般人が道理から外れた行動をとる場合、どこかに何かしらの理由が存在します。

入社から抱えていた異常性が組織と衝突したのか、あるいはソリの合わない管理職の仕掛けた政治的挑発に乗ってしまった敗北者なのか、レイオフのための単なる言いがかりで悪者にされた可哀想な被害者なのか。
これは我々外野どころか、その会社の人事部ですら真実を把握するのは不可能です。

ゆえに、こういう立場の非対称性を使った攻撃的な言語は、民主的な運営をしたい組織の人間は避けるべきです。
また雇用される側の人間が、過去に気に食わなかった誰かを揶揄するために流用して溜飲をさげるのは自らの首を絞める行為だと気が付かねばなりません。

ただし、専制君主制めいた資本主義王国を運営したいのであれば有効に働く可能性はあります。
王様が他の誰よりも "Brilliant" だという絶対の自信があるならば。

スティーブ・ジョブズの名前を借りるまでもなく、いまでは有名となっている大企業のCEOがBrilliant Jerkそのものな振る舞いをしていたエピソードには枚挙のいとまがありません。
自己責任の名の下、資本的権力者には許される振る舞いが許されます。倫理的正しさは企業の成功とは無縁なのです。
綺麗事を吐く裏で立場の違いを利用して退職者に砂をかけようが、儲けていれば勝ち組です。

成功した国の有能な君主の下で圧倒的なサラリーをもらうか、民主主義で泥にまみれて苦労するか。成功した民主主義国家を探すか?自分が王様になるか?
どれも選択できる自由が我々にはありますが、少なくともその裏で走る理屈には自覚的でありたいものです。

以上。