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こじれたアニメオタクが発症しがちなハッピーエンド恐怖症がとてもうっとおしい

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ここで語る'ある程度こじれた'っていうのは例えば隠れオタクだったりとか、世間を俯瞰してオタク論を語っちゃったりとか、いわゆるある程度自分の状態を客観視出来ていて、その上オタクに対する世間的な評価も理解出来ているアニオタのことです。(せつめい)

なので

  • 主人公が幸せな方がいいじゃん☆
  • 鬱な方が泣けるから好き♡
  • 人が死なないと興奮しない

みたいなオタク濃度の低い意見や特殊な性癖を持った人はここではそもそも対象とはしません。

僕の知る限り、そういうこじらせアニオタが一番言われると過剰反応気味にキレる言葉は
「エバンゲリオンってロボットアニメ面白いの?」
……ではなくって、
「いい歳してアニメみてるとかガキっぽい(苦笑)」
なんですよね。何故なら趣味をアイデンティティに持つ僕らオタクにとって、興味の対象が程度の低い娯楽だと思われることは彼らの自尊心を多いに損ねるのです。発言そのものが失礼なのに加えて、あまりにクリティカルなわけです。

一部のこじらせアニオタは、そういう「子供っぽい」とか「低俗」っていうレッテル付けへのエクスキューズとしてのハッピーエンド批判、バッドエンド賛美、つまりハッピーエンド恐怖症を発症させてしまうわけですね。
ちなみにハッピーエンド恐怖症のこじらせアニオタも、そんなバッドエンドスキーを批判することでハッピーエンドを素直に楽しめている自分みたいなものを演出しているアニオタも、要りもしないエクスキューズを求めて自意識をこじらせている時点である意味ギルティなんですよね。ていうかオタク同士でお互いをダシにカスみたいな自尊心の穴埋めをするのはマジで地獄絵図ですね。

こじらせアニオタのコンプレックスが透ける発言の典型

  • ハッピーエンドとか飽きたわーもう何回も観たからいいわー飽きたわー

  • バッドエンドだから型にハマっていないので新規性があって良い作品だった

  • 普段アニメは観ないのですが、XXXという作品はアニメとは思えないほどよく出来ていてなんたらかんたら

  • この裏設定がスゴいのでヤバい、ここまで設定が練られててスゴいからスゴいアニメなんだよ

  • 鬱アニメだから中身があってスゴい

  • ただの萌えアニメじゃないからヤバい

  • アートアニメーションだから一緒にしないでくれたまへ……

etcetc………

ここらへんの発言って本当にクソで、各所で見かけるたびにイライラするんですよね。だってどれもこれも一方的な思い込みと、それに対する予防線が見え見えしかも無駄に攻撃してるじゃないですか。
それぞれ「アニメは一部の限られたキモい人だけ観るもの」「アニメは世界観の設定だとかそういった要素がカス」「アニメのストーリーは勧善懲悪のハッピーエンドで中身がスカスカ」「所詮アニメは萌え萌えキュン」みたいなコンプレックスが見え透いてくるんです。
そんなんなんなんですかって話じゃないですか、好きなら好きってちゃんと言いなさいよ!

アニメーションの定義なんて、
アニメーション(英語: animation)は、動画(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。略語はアニメ。wikipedia
でしかないわけで、そんなアニメを紹介するのに前述したような言い訳が必要になっちゃうのって、ちょっと考え過ぎですよ多分。

そういう変なコンプレックスがある上に、元々のオタク気質からくる面倒くささが合わさって生じる考察合戦みたいなのとか、楽しいのはわかるし、アニメ以外でもカルト的な作品ってだいたいそういうのが盛り上がるっていうのは、まぁわからなくもないんですよ。
でも明らかに自分は高尚な事をしてるみたいな気持ち悪い高揚感で勝手に盛り上がってる、みたいなのがアニメオタクには多すぎませんかね? 挙句には内ゲバを始めたりとか、目も当てられないです。
どう考えても制作サイドはそこまで考えてねーよ、みたいな事まで妄想してる方なんかは、コンプレックスが満たされる快感で理性を失ってない? 大丈夫? って声をかけてあげたくなります。

落としどころ

僕のとる立場としてはまず、ハッピーエンドだからーバッドエンドだからー良いだの悪いだののクソみたいな話は、聞いてるだけでも恥ずかしくて穴を掘って埋めたくなるので、高校二年生で卒業しておいてくれよ、っていうのをずっとおもっているかんじです。
そもそも、お話の落としどころのタイプを幸・不幸の二元論でまとめて済ませようとしている時点でちょっとお察しな感じがあるし、そこを議論しはじめるとアニメだけじゃ話が済まなくなるのでもういいから図書館行ってこいよ、おう早くしろよ。っていう感じです。

初カキコ…ども…

俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

今日のクラスの会話
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 eminem
尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)

なんつってる間に3時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ

それでもバッドエンドが偉いと思っている頑固なこじらせマンは初カキコ…ども…のコピペを三回読んでから自分を鏡で見てみるのがわかりやすいのではないでしょうか。
ハッピーエンド恐怖症患者の思考回路って多分バッドエンドだからご都合主義ではない=偉くてスゴいみたいな感じだと思うんですけど、すげーわかりやすい例えでいうならば某虚淵玄氏のシナリオは「ベクトルが負に向かっているだけのご都合主義」なわけで、悪意のある設定に間抜けで行動に一貫性のない登場人物を載せればまぁそうなりますわなぁみたいな。

だからどうこうというわけじゃなくて、そういうのが好きなら別にそれでいいんじゃないんですか? 今「虚淵玄のシナリオはご都合主義」って言われてイラっときた人は「ご都合主義は低レベルな作品のもの」だと思い込んでるんでしょうね。
でも、フィクションである以上どう頑張ってもそのストーリーが作為的になるのは避けられませんし、そもそものノンフィクションにしたところで「ご都合主義すぎるでしょwww」みたいな展開がゴロゴロしてるわけで。なのでストーリーの完成度だとか、説得力だとか、ノリとか、熱量とか、初期衝動とか、そういうもっとこうグッとくるやつを大事にして生きた方が楽しいとおもいますよ。まぁでもご都合主義があまりに明け透けなのは、もうちょっとうまくやれよみたいな事を思うわけですけど。

ハッピーエンドだから、バッドエンドだから良いなんていうことはないわけです。強いていうならば、物語にふさわしい終わり方をしたか? というところまで来て、ようやくお話してて楽しい感じになるんじゃないんですかね。

  

アニメーションという分野は、まだ歴史も浅いし、予算も少ないし、玉石混合だし、なんか無双ハーレムとか日常系萌えアニメばっかりで退屈だし、技術も発展途上だけど、決して表現手法として特別に劣っているわけではないんですよね。
そもそも、よくアニオタの仮想敵に祭り上げられるマスコミ(ハリボテ)とかDQN脳筋)にしてもその程度なんて知れちゃってるわけじゃない。

変にコンプレックス持たなくていいし、見えない誰かに言い訳したり、オタク同士いらん見栄を張り合ったりしないでもうちょっと穏やかに生きたいね、っていう、そんな感じです。

ちなみに僕は今度あたりにやるっぽいやつでは、Gのレコンギスタとユリ熊嵐が面白そうだなぁと期待しています。他はなんかよくわかんないです。

以上。